今日はめでたく、49回目の誕生日を迎えました。
せっかくなので、思い出せる範囲で、これまでのパソコンの履歴をまとめておこうと思います。
13歳 コンピューターがほしくてほしくて仕方なくて、PC6001などを毎日、電気屋さんの店頭でいじっていて、毎日買って買ってと親に言い続けたら、とうとう、根負けして、東芝のパソピア買ってくれました。これが初めてのパソコン(マイコン)
なぜパソピアだったかというと、たまたま友人が持っていたから。で、ソフトがないので、せっせと自作したり、マイコンやI/O買ったりして、打ち込みしていました。BASICもT-BASICでちょっと方言があったので、世の中のN-BASIC をせっせと翻訳したりしていましたねーーー。
15歳 さすがに、パソピアはマイナーすぎて、いろいろ支障があったので、PC8801mkIIに買い替え。やっとここで、普通のソフトやプログラムを使えるようになりました。ドアドアとか遊んでいて、去年、CHUNソフトの中村さんが私の講演会に偶然いらしてくださったときには、超感動していました。
17歳 理由はまったく忘れましたが、なぜか、PC-8801mkIISRに買い替えてもらいました。このころは、ザナドゥとかやっていました。この辺から、だんだん、プログラムしなくなっていきます。
19歳 大学生になったあとのバイト代ためて、親にもちょっとだしてもらって、PC-9801VM2 を買いました。憧れのPC98でした。この辺から、通信モデムで1200bpsとか2400bpsでパソコン通信始めます。そういえば、HDDを初めて買ったのも、この年です。たしか、中古で20Mで10万くらいしました。
ああ、そういえば、この年に会計士の試験、受かったんだった。会計士の資格をとってから、日給が上がったので、 やっと親に頼らずに買えるようになって、20代に入ると、
・AT互換機
・ノートパソコン
への傾倒が始まります。
ノートは、PC-9801NSからです。この頃結婚して、実家から出たので、新居にAT互換機を置いたり、ISDNをひいたりしていました。
AT互換機は、いろいろとボードとか取り換えていて、もう、記憶もあいまいですが、うまれたばかりの娘つれて、夫婦でよく秋葉原のボード屋さんとか、いっていました。なつかしい。そういえば、Nifty-Serveのボードオペとかもやっていましたね。アメリカから、サウンドブラスターとかも輸入していました。日本で買うと高かったので。
そういえば、ワーキングマザーのためのサイト、ムギ畑( http://www.mugi.com )を作ったのも、このころです。当時はなんとまだ、mugi.comなんていうすごいURLが空いていました。AT互換機使って、CとかPerlで作ってたんですよね、あのサイト。懐かしい。 なお、私のコーディングのあまりの汚さに、開設した後、あとで本職のプログラマーさんがきれいに直してくれました(笑)。
ノートは、ダイナブックとか、バイオとか、はやりものは一応買って、もっていました。ただ、当時のノートは性能が悪くて、あまり活用できませんでした。そういえば、音響カプラももってたなぁ。
29歳で初めて、「レッツノート」を買って、そこからはひたすら、レッツノート人生です。歴代、レッツは8台ぐらい、買い替えていますかね。だいたい、2~3年おきに、マイレッツ倶楽部で買い替え。お気に入りは、T4、W8、J10あたりでした。
ただ、このころは、コンサルティングファームとか、証券会社にいたので、ほとんどの時間は会社支給のパソコンばかり使っていて、レッツノートはサブユースでした。
そして、40代に入ってからは、レッツノートをSSD換装して、だましだまし使っていましたが、さすがにコスパが悪くなってきたので、RZ4を最後に、とうとう2年前から
マウスコンピューター
に切り替えて、いまに至ります。40代になると、iPadとかiPhoneとか、iOS系かモバイルの中心になってしまって、レッツノートもだんだん居場所をなくしてしまったので、それだったら、いっそのこと、コスパで選ぼう、とマウスになりました。
いまはマウス、ゲーミングのデスクトップ1台、ゲーミングのノート2台、普通のノート1台です。普段主に使っているのは、ゲーミングの17インチのほうです。
デスクトップはコスパがいいので買ってみましたが、どうも、ファンがうるさくて、性に合わない。どうせデスクトップとして使うので、ほんとうはノートは割高ですが、まぁ、省スペースなのと、静かなので、いいことにしています。
親指シフトに変えたのは、20代のどこかからだったと思います。富士通のオアシスなどで練習したり、PC-98にアスキーボードつないで覚えました。
そうそう、マウスにした一番大きな理由は「BTO系の中で、ノートパソコンの変換キーの位置が、一番M寄りでスペースキーが短く、親指シフトがしやすそうだった」ことです。実は、レッツノートも同じ理由でずっとそうしていました。HHKBやCraftをメインに使っているのもまったく同じ理由です。
そして、しみじみ感心するのは、中学生の時に買ってもらったパソピアがそれでも、歴代一番高かった、ということです。たしか、カラーモニターが高くて買えなくて、グリーンディスプレイでした。記憶媒体もフロッピー買えなくて、テープでしたし。
それを思うと、いやぁ、いい時代になりました。根負けして、中学生の娘に身分不相応なパソコン(というか、当時はマイコン)を買ってくれた亡き父に感謝です。
というわけで、最後まで、おばさんの昔話にお付き合いいただいて、ありがとうございました。よかったら、ブコメ、お待ちしています。