「逸脱」で男らしさを表現するという男性学の知見が興味深い

このリンク先の男性学の知見、おもしろいです。
男らしさを表現するために男性が用いる手法が
・達成
の他、
・逸脱
であり、達成は一部の人しかできないので、逸脱に走る人がいるということを説明しています。
達成は競争に勝つことでしか手に入れられませんから、逸脱のほうが多くの男性にとっては実現することが容易です。その中でも、他人に迷惑をかける言動は、最も簡単に「男らしさ」を証明する手段だといえます。道端で肩が触れただけでいちゃもんをつけるような、かつてのヤンキーなどはその典型です。中学生ならともかく、大人の男性であれば逸脱による「男らしさ」の証明は恥ずかしいと思ってもらいたいところです。
それが、ハラスメントやトランプ大統領のような極端な排除言説の動機になるという概念です。
確かに、これまでいろいろと思い当たることがあります。
社会的立場のある男性の場合、権威が失墜してしまうので、内面の「弱さ」を周囲に悟られるわけにはいきません。もし、対話に応じてしまえばその過程で自分の抱えている「弱さ」が表面化する危険性があります。そこで威圧的な態度や攻撃的な言葉で、相手とのコミュニケーションを遮断するのです。権力を手に入れても「男らしさ」に頼る男性がいるのは、自らの内面を探られないように相手との距離を保つためだと考えられます。
私は女性なので、「逸脱」で女性らしさを表すことはないし、男性らしさにも興味が無いので、そのようなプレッシャーからは無縁ですが、達成と逸脱が絶え間なく社会から求められるのであれば、それは苦しいことだし、ハラスメントも差別もなくなりにくいと思います。
社会や女性が男性に何を求めるかも考え直す必要がありますね。